公開: 2023年3月18日
更新: 2023年4月11日
1337年、イングランド王エドワード3世は、自分の母がフランス王シャルル4世の妹であったことから、シャルル4世の死後、直系男子が断絶したカペー朝の後継であることを理由として、フランス国王に即位しようとしていたフィリップ6世に対抗して、自らが国王に即位する権利があると主張し、フランスに対して宣戦を布告しました。
この後、1453年まで、イングランド国王とフランス国王は、スコットランド、ベルギー、スペインなどを巻き込んで、フランスの王権を争い続けました。その間、フランスにあったイングランド領での戦いで、農民の娘だったジャンヌ・ダルクが、劣勢にたたされていたフランス国王軍に参戦して戦い、活躍したことは有名です。
ジャンヌ・ダルクは、戦闘の途中に、フランス国王と対立していた、フランスのノルマンジー公の軍隊に捕らえられ、イングランド軍に引き渡されました。その後、ジャンヌは、当時、カトリック教会が禁止していた「男装の罪」で宗教裁判にかけられ、裁判の結果、「火あぶりの刑」に処されました。その後、フランス市民の活動によって、ローマ教会が裁判のやり直しを認め、やり直し裁判の結果、判決は誤りであったことが宣言されました。